JR関西本線

language

JR関西本線

JR関西本線のあらまし(歴史)

関西鉄道(JR関西本線)歴史

1888年、官設鉄道の経路から外れた東海道沿いの路線(現在の地方路線)滋賀、三重県下の都市を東海道線に結ぶ目的で四日市で設立された。

現在のJR関西本線(名古屋駅~JR難波駅(旧湊町駅)間、営業キロ174.9㎞)は、大阪鉄道が1889年(明治22年)に柏原駅~湊町駅(現在のJR難波駅)間(16.1㎞)を開業。

1895年、当初の目標であった名古屋駅と草津駅を結ぶ鉄道が完成した後は大阪進出を目指して、大阪の複数の鉄道会社と合併交渉を開始した。

その後、1890年(明治23年)には関西鉄道が、路線を西へ奈良まで延長し、片町 – 四条畷を開業していた浪速鉄道および四条畷から木津方面の路線免許を持つ(未開業の)城河鉄道を合併して現在の片町線経由で名阪間を開通、1898年に大阪片町にターミナルを入手した。

他の区間においても大阪鉄道が1892年(明治25年)に奈良駅までの路線を開業したのを皮切りに、他の区間においても大阪鉄道により開業され、1899年(明治32年)に名古屋駅~大阪駅間が全通しました。

しかし、敷地の拡張が困難なため網島(廃止)に起点を移設した。さらに湊町から天王町駅を経由して奈良に通じる路線を持つ大阪鉄道 (初代)を合併し現在の関西本線を全通、湊町(現:JR難波駅)にターミナルを再度移転させた。

名阪全通に伴い、官設鉄道との間でこの区間の旅客・貨物を巡る競争が始まった。



関西鉄道は、昼行1往復・夜行1往復で料金不要の急行列車を設定した。
新式の「早風(はやかぜ)」(後の国鉄6500形蒸気機関車)と名づけられた蒸気機関車を用いた急行は、同区間を昼行では下り5時間34分・上り5時間16分、夜行は下り6時間41分・上り6時間3分で走破した。この時、官鉄の下り急行列車は名古屋駅 – 大阪駅間において昼行が6時間4分、夜行が5時間20分で走破し、運賃も同額の1円21銭であったから、勝負はほぼ互角であった。

1900年(明治33年)の関西本線ルート(湊町駅 – 名古屋駅)完成後は昼行急行に関してはこちらのルートを通すようになった。しかし所要時間はこの時若干伸びた。その後、1902年(明治35年)には再び所要時間を短縮し、5時間弱の運転とした。急行列車には1904年(明治37年)より食堂車も連結されるようになった。

1902年(明治35年)8月1日、官鉄の同区間の片道運賃が1円77銭・往復運賃が2円30銭だったのに対して、関西鉄道が往復運賃を2円(片道は1円47銭)に値下げると、官鉄は慌てて同月6日に往復運賃を1円47銭に値下げし、往復運賃が片道運賃を下回るという事態になった。

関西鉄道もすぐさま往復運賃を1円50銭に値下げし、団扇などといった小物のサービスを行うなどして競争は泥沼化して行った。

このころから国は民間企業に対し縛りを厳重にし個人の資産を回収することしか頭になかったといえる。

この競争は、1904年(明治37年)2月に日露戦争が勃発したことで輸送が軍需優先となったため、同年5月にようやく泥沼化していた競争は終結した。

合併によって近畿地方での存在感が高まるにつれ、周辺の私鉄が関西鉄道に合流する動きがでてきた。1904年に紀和鉄道が合併した後、同年に近畿鉄道合同委員会を設け南和鉄道、奈良鉄道が合流した。南海鉄道は委員会に加わったものの合流に至らなかった。



1987年(昭和62年)の国鉄民営化(JR東海:名古屋駅~亀山駅間59.9㎞、JR西日本:亀山駅JR難波駅(旧湊町駅)115.0㎞)を経て現在に至っています。

以前は、名古屋駅~大阪駅間を直通で結ぶ列車が運行されるなど、名古屋圏と大阪圏を結ぶ重要な役割を担っていましたが、東海道本線の整備が進められた。
現在、JR関西本線への直通列車は運行されておらず、JR関西本線名古屋駅~亀山駅間59.9㎞(電化区間)、JR関西本線亀山駅加茂駅間61.0㎞(非電化区間)、
JR関西本線加茂駅JR難波駅(旧湊町駅)間54.0㎞(電化区間)の3区間の運行系統に別れています。

JR関西本線は、名古屋駅と大阪駅を最短距離で結ぶ鉄道であり、沿線地域の開発が進み魅力的な観光資源が存在するなど、今後さらなる整備の充実が望まれる路線です。

列車の運行も名古屋側と大阪側はJRのエリアがJR東海旅客鉄道株式会社とJR西日本旅客鉄道株式会社とまたがる関係でほとんど独立している。
そして現在、名古屋駅-JR奈良駅間を結んでいたディーゼル急行「かすが」も需要が減ったため2006年(平成18年)廃止となり東海と関西を結ぶ車両はもう存在しません。



電化は名古屋側はJR亀山駅までの全線、大阪側はJR加茂駅まで54kmについて、複線化は名古屋側は約20kmと全体の1/3ほど、大阪側はJR木津駅までの48kmについて行われている。
比較的山間部のJR亀山駅JR加茂駅間は単線非電化路線である。

名古屋側はほとんど平野を通っているために起伏は少なく、トンネルもないが、木曽川、長良川、揖斐川という大きな河川を渡るために長い鉄橋がある。
また地盤の低い地域も通っていて、特に海抜-0.93mの弥富駅は地下駅を除いて日本で最も低い駅である。

名古屋側の列車は、名古屋駅-JR亀山駅間、名古屋駅-四日市駅間に213系電車による普通が運行されているほか、
名古屋-鳥羽間、名古屋-伊勢市間にキハ75による快速「みえ」が1時間に1本ほど運行されている。
また名古屋-紀伊勝浦間にキハ85系によるディーゼル特急「ワイドビュー南紀」が1日に4本運行されている。
みえ」や「南紀」は河原田から紀勢本線の津までを第三セクタの伊勢鉄道の線路を走行する。
なお、JR亀山駅から西はJR西日本の気動車キハ120による普通列車が運行されている。

名古屋側は、弥富-桑名間、朝明信号場-富田間、富田浜-四日市間、南四日市-伊勢鉄道分岐点までが複線で、名古屋-河原田間の設定最高速度は120km/h、河原田-亀山間は95km/hとなっている。

大阪側の関西線は大和路線という愛称が付けられている。




関西鉄道戦時買収

1905年に関西鉄道に譲渡され、さらに1907年(明治40年)鉄道国有法により全国的な鉄道網を官設鉄道に一元化するため、私鉄を国有化することを定めた。

この鉄道国有法は大東亜戦争(太平洋戦争)完遂のための軍事目的を前面に押し出したもので、当時の国家総動員法などに基く強制的なものであった。

その方法は、突然買収対象となった私鉄会社の関係者が電報一本で呼び出され、行った先で有無を言わせず書類に押印を強要するといったもので、押さなければ「非国民」扱いされるために、従わざるを得なかったというものである。

買収代金の支払いは戦時公債によって行われたため、実質的には換金不可能であった。
また、買収路線は戦争終了後には(建前では)元の会社に戻す事が条件づけられていたため、会社を解散する事は禁止されていた(ただし、事業が継続できなくなったために休眠会社となった後に事実上解散した会社はある)。買収は鉄道施設のみであり、必ずしも全ての路線や付帯事業が買収された訳ではなかった。



そのため戦後、一部の被買収会社から買収路線の払下げ要求が出されたことがあったが、国鉄時代は一つとして実現されなかった。これは、日本国有鉄道(国鉄)発足直前の1949年(昭和24年)と発足後の1951年(昭和26年)に鉄道払下げ法案が国会に提出されたものの、いずれも審議未了で廃案になったことや、買収された私鉄の多くが産業用鉄道であり、財閥との資本関係が強いものであったため、財閥解体などを推し進める連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の方針に反するものであったからだといわれている。また、支払われた戦時公債による買収代金は戦後のインフレーションによって価値を失い、実質的に買い戻しが困難な状況でもあった。
このようにし明治に私鉄とし造られた日本の鉄道の前進とも言われる企業の価値を失わせ現在の国の運用が誕生した。




JR関西本線基本情報

JR関西本線201系快速
通称:大和路線(関西本線)(JR加茂駅JR難波駅(旧湊町駅)
所在地:愛知県、三重県、京都府、奈良県、大阪府
起点:名古屋駅
終点:JR難波駅(旧湊町駅)
駅数:52駅(貨物駅含む)(JR名古屋駅 – JR難波駅(旧湊町駅))
・JR東海旅客鉄道株式会社:18
・JR西日本旅客鉄道株式会社:32(亀山駅のぞく)
営業キロ:174.9 km(名古屋駅 – JR難波駅間)

路線記号
・CJ(名古屋駅 – 亀山駅間)
・V(亀山駅加茂駅間)
・Q(加茂駅JR難波駅(旧湊町駅)間)
軌間:1,067 mm(狭軌)
電化方式:直流1,500 V 架空電車線方式(名古屋駅 – 亀山駅間、加茂駅 – JR難波駅間)
開業:1889年5月14日(明治22)
最終延伸:1964年11月24日(百済市場駅)
所有者:
JR東海旅客鉄道株式会社
(名古屋駅 – 亀山駅間)
JR西日本旅客鉄道株式会社
亀山駅JR難波駅(旧湊町駅)間)
JR日本貨物鉄道株式会社
(四日市駅 – 塩浜駅間、平野駅 – 百済貨物ターミナル駅間)
最高速度:120 km/h
IC乗車カード対応区間:
TOICAエリア:名古屋駅 – 亀山駅間
ICOCAエリア:亀山駅 – JR難波駅間(柘植駅 – JR難波駅はPiTaPaポストペイサービス対象区間。加茂駅 – 亀山駅間は車載型IC改札機で対応)




JR西日本旅客鉄道株式会社 区間停車駅
関西本線(亀山~加茂)「関西本線(亀山~加茂)」の停車駅は、亀山駅関駅加太駅JR柘植駅新堂駅佐那具駅伊賀上野駅島ヶ原駅月ヶ瀬口駅JR大河原駅笠置駅加茂駅の各駅停車です。

大和路線(加茂駅~難波駅)「大和路線(加茂駅~難波駅)」の「普通」停車駅は、加茂駅木津駅平城山駅奈良駅郡山駅大和小泉駅法隆寺駅王寺駅三郷駅河内堅上駅高井田駅柏原駅志紀駅八尾駅久宝寺駅加美駅平野駅東部市場前駅天王寺駅新今宮駅今宮駅JR難波駅です。

大和路線(加茂駅~難波駅)「大和路線(加茂駅~難波駅)」の「区間快速」停車駅は、
加茂駅、木津駅、平城山駅、奈良駅、郡山駅、大和小泉駅、法隆寺駅、王寺駅、三郷駅、久宝寺駅、天王寺駅、新今宮駅、今宮駅以降大阪環状線直通

大和路線(加茂駅~難波駅)「大和路線(加茂駅~難波駅)」の「快速」停車駅は、
加茂駅、木津駅、平城山駅、奈良駅、郡山駅、大和小泉駅、法隆寺駅、王寺駅、三郷駅、久宝寺駅、天王寺駅、新今宮駅、JR難波駅です。

大和路線(加茂駅~難波駅)「大和路線(加茂駅~難波駅)」の「直通快速」停車駅は、奈良駅、郡山駅、大和小泉駅、法隆寺駅、王寺駅、久宝寺駅以降おおさか東線直通

大和路線(加茂駅~難波駅)「大和路線(加茂駅~難波駅)」の「大和路快速」停車駅は、加茂駅、木津駅、平城山駅、奈良駅、郡山駅、大和小泉駅、法隆寺駅、王寺駅、久宝寺駅、天王寺駅、新今宮駅以降大阪環状線直通




JR関西本線 JR関西本線の生い立ち(年表)

1888年(明治21年)3月1日:大阪鉄道に免許交付。

1888年(明治21年)3月1日:関西鉄道に免許交付。(三重県四日市市に資本金300万円で設立が許可)

1889(明治22年)12月15日:草津駅 – 三雲駅間開業

・民営大阪鉄道の湊町〈みなとまち〉(現在はJR難波駅)-柏原駅〈かしわら〉間を開業した。

・民営関西鉄道の草津線(草津駅-柘植駅間)が開業した。

1890(明治23)

・関西鉄道 2月19日:関西鉄道 三雲駅 – 柘植駅間の開業により、柘植駅が開業。

・関西鉄道 12月25日:四日市駅 – 柘植駅間が開業

1890年(明治23年)9月11日・大阪鉄道 柏原駅 – 亀瀬仮停車場間(5.99km)が延伸開業。亀瀬仮停車場が開業。

1890(明治23)12月25日:関西鉄道の柘植-四日市間が延伸開業した。関駅・亀山駅・河原田駅・四日市駅が開業

1890年(明治23年)12月27日

・大阪鉄道 奈良駅 – 王寺間(15.37km)が開業。奈良駅・郡山駅・法隆寺駅・王寺駅が開業。

1891年(明治24年)2月8日

・大阪鉄道 王寺駅 – 稲葉山仮停車場間(2.21km)が延伸開業。

・大阪鉄道 稲葉山仮停車場が開業。稲葉山仮停車場 – 亀瀬仮停車場間は徒歩・人力車連絡。

1892年(明治25年)2月2日

・大阪鉄道 亀瀬仮停車場 – 稲葉山仮停車場間(1.29km)が延伸開業し、

湊町駅 – 奈良駅間が全通。稲葉山仮停車場・亀瀬仮停車場が廃止。

1892年(明治25年)2月6日

・関西鉄道高宮駅(現在の加佐登駅)が開業。

1893年(明治26年)6月15日

・関西鉄道 桑名駅 – 名古屋駅間の免許取得

1894年(明治27年)7月5日

・関西鉄道 四日市駅 – 桑名仮停車場間(11.87km)が延伸開業。富田駅・桑名仮停車場が開業。

1895年(明治28年)

・関西鉄道 1月28日:柘植駅 – 奈良駅間の免許取得。

・関西鉄道 5月24日:名古屋駅 – 前ヶ須駅間(16.52km)、桑名仮駅 – 桑名駅間(1.29km)が開業。蟹江駅・前ヶ須駅(現在の弥富駅)

・関西鉄道 桑名駅が開業。桑名仮停車場が廃止。

・関西鉄道 11月7日:弥富駅 – 桑名駅間(7.50km)が延伸開業し、名古屋駅 – 草津駅間が全通。前ヶ須駅が弥富駅に改称。

1896年(明治29年)

・奈良鉄道4月18日 木津駅 – 奈良駅間(7.08km)が延伸開業し、京都駅 – 奈良駅間が全通。

・関西鉄道 7月3日 名古屋駅 – 蟹江駅間に愛知駅が開業。

・関西鉄道 9月21日 加太駅が開業。



1897年(明治30年)

関西鉄道 1月15日:支線として柘植駅 – 上野駅間(14.65km)が開業。佐那具駅・上野駅(現在の伊賀上野駅)が開業した。

関西鉄道 11月11日:支線 上野駅 – 加茂駅間(26.27km)が延伸開業。島ケ原駅・大河原駅・笠置駅・加茂駅が開業した。

1898年(明治31年)

関西鉄道 4月19日:支線 加茂駅 – 大仏駅間(8.75km)が開業し、名古屋駅 – 加茂駅間が本線に、柘植駅 – 草津駅間が支線に変更。大仏駅が開業。

関西鉄道 11月18日:加茂駅 – 新木津駅間が延伸開業し、網島方面への路線(のちの片町線)に接続。名古屋駅 – 網島駅間が全通し、直通列車が運転開始。

1899年(明治32年)3月1日

・大阪鉄道 今宮駅が開業。

1899(明治32)
・関西鉄道 5月21日 関西鉄道の大仏-奈良間により名古屋-湊町間全通した。

・関西鉄道 10月23日 加茂駅 – 奈良駅間が(0.22km)延長開通。

・関西鉄道 11月11日 長島駅が開業。

1900(明治33) 4月23日

・関西鉄道が大阪鉄道を路線の譲渡の契約が成立。吸収し合併した。

・大阪鉄道が関西鉄道に6月6日路線を譲渡。それに伴って

名古屋-大阪間で官営鉄道(東海道本線)との間で乗客の争奪戦がくり広げられることになった。

・関西鉄道 6月6日:加茂駅 – 網島駅間が支線に変更。

・関西鉄道 9月1日:列車運行上の本線が名古屋駅 – 大仏駅 – 湊町駅間に変更。

1903年(明治36年)

・関西鉄道 1月29日:天王寺駅 – 湊町駅間が複線化。

・関西鉄道 2月1日:高宮駅が加佐登駅に改称。

・関西鉄道 3月1日:第五回内国勧業博覧会開催にあわせ、支線 天王寺駅 – 博覧会駅間が開業。博覧会駅が開業。天王寺駅 – 今宮駅間にも博覧会付属乗降場が開設。

・関西鉄道 11月1日:支線 天王寺駅 – 博覧会駅間が廃止。博覧会駅・博覧会付属乗降場が廃止。

1905年(明治38年)

・関西鉄道 2月7日:奈良鉄道が関西鉄道に路線を譲渡

・奈良鉄道 2月7日:奈良鉄道が関西鉄道に路線を譲渡。

1907(明治40)

・関西鉄道 7月1日:富田浜仮停車場が開業(夏期のみ営業)。

・関西鉄道 8月21日:加茂駅 – 木津駅間(マイル設定なし)が開業。

加茂駅 – 大仏駅 – 奈良駅間、加茂駅 – 新木津駅間が休止。大仏駅が休止。

10月1日:関西鉄道が鉄道国有法により関西鉄道が国有化(JNR)
※木津経由の現在のルートが完成。国が私財を法律により没収

11月1日:加茂駅 – 木津駅間マイル設定(5.95km)。

加茂駅 – 大仏駅 – 奈良駅間(9.82km)、加茂駅 – 新木津駅間が正式に廃止。

1908(明治41)

3月30日:柏原駅 – 天王寺駅間が複線化。

10月7日:郡山駅 – 法隆寺駅間に安堵信号所が開設。

11月5日:安堵信号所が廃止。

関西鉄道の加茂-大仏-奈良間が廃止した。

1909年(明治42年)

4月1日 志紀駅・加美駅・百済駅(初代)が開業。柏原駅 – 湊町駅間にて、鉄道院で初めて蒸気動車運行を開始したことに伴う新設駅で、当初は蒸気動車による区間列車のみの客扱い駅であった。

6月1日:愛知駅が廃止され名古屋駅に統合。

10月12日:国有鉄道線路名称制定により、名古屋駅 – 奈良駅 – 湊町駅間が関西本線となる。

1910年(明治43年)12月1日:久宝寺駅が開業。

1911年(明治44年)11月5日:王寺駅 – 柏原駅間に青谷信号所が開設。




1914年(大正3年)3月20日:木津駅 – 奈良駅間が複線化。

1915年(大正4年)

・2月13日:木津駅 – 奈良駅間に佐紀仮信号所が開設。

・6月7日:佐紀仮信号所が廃止。

1916年(大正5年)9月11日:上野駅が伊賀上野駅に改称。

1918年(大正7年)7月15日:名古屋駅 – 蟹江駅間に八田信号所が開設。

1920年(大正9年)

・8月25日:大和小泉駅が開業。

・12月21日:貨物支線 四日市駅 – 四日市港駅間(1.77km)が開業。貨物駅として四日市港駅が開業。

1921年(大正10年)7月15日:新堂駅が開業。

1922年(大正11年)4月1日:すべての信号所が信号場に変更。

1923年(大正12年)12月15日:青谷信号場 – 柏原駅間が複線化。

1924年(大正13年)

・3月30日:王寺駅 – 青谷信号場間が複線化。

・8月10日:木津駅 – 奈良駅間に都跡仮信号場(初代)が開設(廃止日不詳)。

1925年(大正14年)

・6月16日:郡山駅 – 大和小泉駅間が複線化。

・8月26日:奈良駅 – 郡山駅間が複線化。

1926年(大正15年)

・1月10日:都跡仮信号場(2代目)が開設(廃止日不詳)。

・4月30日:大和小泉駅 – 法隆寺駅間が複線化。

・7月22日:法隆寺駅 – 王寺駅間が複線化。




1927年(昭和2年)

・4月19日:青谷信号場が駅に変更され河内堅上駅が開業。

・5月1日:桑名駅 – 朝日駅間に朝明信号場が開設。

・6月1日:蟹江駅 – 弥富駅間に善太信号場が開設。

1928年(昭和3年)

・2月1日:八田信号場が駅に変更され八田駅が開業。

・3月1日:富田浜仮停車場が駅に変更され富田浜駅が開業。

・4月1日:加太駅 – 柘植駅間に中在家信号場が開設。

・7月1日:四日市駅 – 河原田駅間に日永信号場が、河原田駅 – 加佐登駅間に木田信号場が開設。

・12月1日:貨物支線 今宮駅 – 浪速駅 – 大阪港駅間(8.37km)が開業(のちに大阪環状線に編入され、同線の貨物支線となる)。

1929年(昭和4年)

・2月1日:善太信号場を駅が変更され永和駅が開業。

・5月20日:井田川駅が開業。

1930(昭和5年)

・名古屋-湊町間に「快速」列車を運行。

・姫路-鳥羽間に準急列車を運行(現草津線経由)

・4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(名古屋駅 – 湊町駅間 108.8M→175.1km、四日市駅 – 四日市港駅間 1.1M→1.7km、今宮駅 – 大阪港駅間 5.2M→8.2km)

1931年(昭和6年)

・7月8日:加美駅 – 平野駅間に正覚寺信号場(初代)が開設。

・7月7日:富田浜駅 – 四日市駅間に午起仮停車場が開業。

1932年(昭和7年)

・1月27日:王寺駅 – 河内堅上駅間に亀ノ瀬信号場が開設。

・2月1日:王寺駅 – 河内堅上駅間の亀ノ瀬トンネルが地滑りで変形したため使用不可能となり、同区間が不通となる。

2月20日:亀ノ瀬トンネルの東口に亀ノ瀬東口仮停車場(亀ノ瀬信号場から変更)、西口に亀ノ瀬西口仮停車場が開設。王寺駅 – 亀ノ瀬東口仮停車場間・亀ノ瀬西口停車場間が運行再開、両仮停車場間は徒歩連絡となる。

・6月1日:柏原駅南方900m、大阪電気軌道桜井線(現在の近鉄大阪線)安堂駅に隣接する箇所に柏原仮乗降場が設置され、同線と和歌山線下田駅(現在の香芝駅)と大軌下田駅を用いて不通区間の代替輸送が開始。

・8月1日:四日市駅 – 四日市港駅間で改キロ (+0.8km)。

・12月31日:不通だった王寺駅 – 河内堅上駅間を大和川対岸の新線に切り替えて単線で復旧。途中に藤井信号場が開設。

1933年(昭和8年)

・1月1日:亀ノ瀬東口仮停車場・亀ノ瀬西口仮停車場・柏原仮乗降場が廃止。

・10月14日:木津駅 – 奈良駅間に佐保仮信号場が開設。

・11月28日:王寺駅 – 藤井信号場間が複線化。

1935年(昭和10年)12月30日:藤井信号場 – 河内堅上駅間が複線化。藤井信号場が廃止。

1936年(昭和11年)1月15日:佐保仮信号場が廃止。

1938年(昭和13年)10月1日:八尾駅 – 久宝寺駅間に竜華操車場が開設。

1939年(昭和14年)10月15日:正覚寺信号場(初代)が廃止。

1941年(昭和16年)7月25日:加美駅 – 平野駅間に正覚寺信号場(2代目)が開設。

1944年(昭和19年)

・6月1日:貨物支線 四日市駅 – 塩浜駅間 (3.3km) が開業。貨物駅として塩浜駅が開業。

・11月1日:奈良駅 – 王寺駅間が資材供出のため単線化。




1945年(昭和20年)11月25日:長島駅 – 桑名駅間に揖斐川仮信号場が開設。

1946年(昭和21年)5月1日:揖斐川仮信号場が廃止。

1947年(昭和22年)

・3月15日:木津駅 – 奈良駅間に佐保信号場(初代)が開設。

・10月:志紀駅が休止。

1948年(昭和23年)8月30日:午起仮停車場が廃止。

1949年(昭和24年)3月1日:木田信号場が駅に変更され鈴鹿駅(現在の河曲駅)が開業。

1950(昭和25年)

・10月1日:東京駅 – 湊町駅・鳥羽駅間で夜行急行列車が運転開始。翌月「大和」と命名される。

1951年(昭和26年)12月28日:月ケ瀬口駅が開業。

1952年(昭和27年)9月1日:貨物支線(阪和貨物線)八尾駅 – 竜華操車場 – 杉本町駅間 (11.3km) が開業。

1953年(昭和28年)11月11日:急行「大和」の鳥羽編成が「伊勢」として分離。

1954年(昭和29年)6月1日:富田浜駅 – 四日市駅間に、三岐鉄道の四日市駅直通列車のみ停車する午起駅が開業。

1955年(昭和30年)3月22日:名古屋駅 – 湊町駅間の準急に気動車(のちのキハ50形・キロハ18形であるキハ44600形・キロハ47000形)が投入される。国鉄初の気動車による優等列車となる。

1956年(昭和31年)

・3月15日:貨物支線 浪速駅 – 大阪東港駅間 (3.0km) が開業。

・9月27日:関駅 – 加太駅間で下り列車が崩壊した土砂に乗り上げ、客車が川に転落。死者8名(旅客5名、職員3名)、負傷者3名。「関西本線列車脱線水没事故」

・11月17日:加茂駅 – 木津駅間が、鹿背山トンネル経由から不動山トンネル経由に変更。

・11月20日:佐保信号場(初代)が廃止。

1958(昭和33年)

・中井光次大阪市長をはじめ他5市町長が発起人となり関西本線複線電化促進連盟を設立

名古屋-湊町間準急を「かすが」と命名

1959年(昭和34年)

・7月15日:東京駅 – 新宮駅間で急行「那智」が運転開始。関西本線内では「伊勢」と併結運転を行う。

・9月26日:伊勢湾台風により愛知県・三重県内を中心に甚大な被害を受ける。

・10月10日:桑名駅 – 四日市駅間が復旧。不通区間は八田駅 – 桑名駅間になる。

・10月30日:八田駅 – 蟹江駅間が復旧。

・11月1日:蟹江駅 – 永和駅間が復旧。

・11月25日:永和駅 – 桑名駅間の開通をもって、復旧完了。

1961年(昭和36年)

・2月1日:法隆寺駅 – 王寺駅間が再複線化。

・3月6日:郡山駅 – 法隆寺駅間が再複線化。

・3月21日:奈良駅 – 郡山駅間が再複線化。

・4月25日:貨物支線 今宮駅 – 浪速駅 – 大阪港駅間 (8.2km)、浪速駅 – 大阪東港駅間 (3.0km) が大阪環状線に編入。

・10月11日:志紀駅が八尾寄りに0.2km移転し営業再開。

・12月10日:奈良駅 – 湊町駅間が他線からの直通列車の一部を除き気動車に統一。

正覚寺信号場(2代目)が廃止。

1963年(昭和38年)

・4月1日:加美駅が平野方面に0.3km移転。

・9月10日:1945年ごろから休止中であった百済駅(初代)が廃止。

・10月1日:貨物支線 平野駅 – 百済駅(2代目、現在の百済貨物ターミナル駅)間 (1.4km) が開業。貨物駅として百済駅(2代目)が開業。日永信号場が駅に変更され南四日市駅が開業。

1964年(昭和39年)

・10月1日:午起駅が廃止。

・11月24日:貨物支線 百済駅 – 百済市場駅間 (2.1km) が開業。貨物駅として百済市場駅が開業。

1965年(昭和40年)3月1日:阪和貨物線 八尾駅 – 杉本町駅間が旅客営業開始。名古屋駅 – 東和歌山駅間に阪和貨物線経由で気動車特急「あすか」が運転開始。




1966年(昭和41年)
・3月5日:準急「かすが」が急行になる。

1967年(昭和42年)

・2月28日:平野駅 – 天王寺駅間の下り線が高架化。

・9月28日:平野駅 – 天王寺駅間の上り線が高架化。

・10月1日:特急「あすか」が廃止。

1968(昭和43年)

・3月22日:天王寺駅 – 新今宮駅間が複々線化され、大阪環状線と分離運転開始。

・10月1日:急行「大和」「伊勢」「那智」が統合され、急行「大和」が廃止。

急行「紀伊」が運転開始。
急行「かすが」の奈良駅 – 湊町駅間は上り1本を残して快速になる。

1970年(昭和45年)10月1日:長島駅・富田浜駅・鈴鹿駅が無人駅化。

1971年(昭和46年)4月25日:名古屋駅 – 亀山駅間で蒸気機関車の使用を廃止。

1972年(昭和47年)

・3月15日:新今宮駅に停車開始。急行「紀伊」の王寺駅・鳥羽駅発着の列車が廃止。

・9月27日:朝明信号場 – 富田駅間が複線化。

1973(昭和48年)

・7月10日:鈴鹿駅が河曲駅に改称。

・10月1日:奈良駅 – 湊町駅間が電化され、亀山駅 – 奈良駅間で蒸気機関車が全廃。

・10月1日:急行「かすが」の運転区間が名古屋駅 – 奈良駅間に短縮。湊町(乗り入れ廃止)

・10月7日:休日のみ快速(大和路快速の前身)が大阪環状線への直通運転開始。

・12月26日:関西線平野駅列車脱線転覆事故

1974年(昭和49年)7月20日:平日の快速も大阪環状線への直通運転開始。




1977年(昭和52年)1月31日:長島駅 – 桑名駅間が複線化。

1979年(昭和54年)8月1日:名古屋駅 – 八田駅間が電化(電化営業開始は1982年5月17日)。

1980年(昭和55年)

・3月3日:三郷駅が開業。

・3月24日:弥富駅 – 長島駅間が複線化。

1982(昭和57)

・5月17日:八田駅 – 亀山駅間が電化された。

・8月1日:台風10号と集中豪雨により大和川水系の葛下川が氾濫、王寺駅・王寺機関区が浸水する101系10編成60両、113系40両が被害を受ける。113系は全車復旧させたものの101系は60両全車廃車

・9月29日:柘植駅 – 笠置駅間が自動信号化。

・10月18日:亀山駅 – 柘植駅間が自動信号化。

1983(昭和58)

・3月8日:亀山駅 – 木津駅間で列車集中制御装置 (CTC) が導入。

・8月8日:朝日駅が開業。朝明信号場が北へ2.1km移転。

・関駅、佐那具駅、大河原駅など関西本線の多くの駅が委託化、加太駅無人化

1984(昭和59)

2月1日:貨物支線 百済駅 – 百済市場駅間 (2.1km) が廃止。

9月1日:木津駅 – 奈良駅間に佐保信号場(2代目)が開設。

10月1日:木津駅 – 奈良駅間が電化された。

1985年(昭和60年)

3月14日:貨物支線 四日市駅 – 四日市港駅間 (2.5km) が廃止。新今宮駅 – 湊町駅間の貨物営業廃止。

8月29日:高井田駅が開業。

12月1日:平城山駅が開業。

1986年(昭和61年)11月1日:竜華操車場が信号場に変更され竜華信号場が開設。

1987(昭和62)

・4月1日:国鉄分割民営化により、次のようになる。

名古屋駅 – 亀山駅間 (59.9km) をJR東海旅客鉄道が承継。

亀山駅 – 湊町駅間 (115.2km)、八尾駅 – 竜華信号場 – 杉本町駅間 (11.3km) をJR西日本旅客鉄道が承継。
JR日本貨物鉄道が四日市駅 – 塩浜駅間 (3.3km)、平野駅 – 百済駅間 (1.4km) の第一種鉄道事業者、名古屋駅 – 亀山駅 (59.9km)、木津駅 – 新今宮駅間 (45.5km)、竜華信号場 – 杉本町駅間 (10.5km) の第二種鉄道事業者となる。

亀山駅 – 木津駅間の貨物営業廃止。

1988(昭和63)

・3月13日 木津-加茂間が電化された。

・3月13日加茂-大阪間の快速に「大和路快速」と愛称がつく。

・3月13日日中に湊町駅発着の快速(郡山駅・大和小泉駅は通過)が増発。加茂駅・木津駅 – 湊町駅・大阪駅間で「やまとじライナー」が運行開始。




1989年(平成元年)

・3月11日:大阪環状線に直通する区間快速(環状線内各駅停車)が運転開始。大阪環状線との直通運転を夕方以降にも拡大。郡山駅・大和小泉駅停車の快速および和歌山線・桜井線直通の快速が区間快速に変更。

・4月10日:大和路快速で221系電車が運用開始。

・11月11日:東部市場前駅が開業。

・12月28日:湊町駅が移転し、改キロを実施

1990(平成2年)

・3月10日 快速「みえ」が運転開始。大阪環状線直通の区間快速を朝方にも拡大。

・6月1日 亀山駅-加茂駅間一部ワンマン運行開始。

1992年(平成4年)

・3月14日:特急「南紀」の使用車両がキハ82系気動車からキハ85系気動車(ワイドビュー)に置き換え。これによりキハ82系気動車による定期特急列車は全国から消滅。

1993年(平成5年)

・2月10日:王寺駅 – 湊町駅間で ATS-P(トランスポンダ方式)使用開始。

・7月24日:富田浜駅 – 四日市駅間が複線化。

・8月1日 亀山駅-加茂駅間に最高速度95kmの軽快気動車「キハ120形」を導入。ワンマン運行。

・8月1日快速「みえ」をキハ58・65系気動車からキハ75系気動車に置き換え

1994年(平成6年)

・9月4日:湊町駅がJR難波駅に改称。関西国際空港開港に伴い、JR難波駅 – 関西空港駅間で関空快速が運転開始。天王寺駅で大阪環状線京橋駅発着の関空快速と併結・分割していた。

1996年(平成8年)

・3月22日:連続立体交差事業により、今宮駅が高架化、JR難波駅が地下化。

・10月5日:加茂駅 – JR難波駅間で、平日ダイヤで運転されていた土曜日が、休日ダイヤで運転されるようになる

1999年(平成11年)

・5月10日:関空快速のJR難波駅発着編成の天王寺駅での大阪環状線京橋駅発着関空快速との併結・分割を中止し、JR難波駅 – 関西空港駅間をJR難波駅発着編成単独での運転になる

2001(平成13年)

・赤字路線によりダイヤ改正(加茂駅-伊賀上野駅12便減、上下50便)

2003(平成15年)

・亀山駅-加茂駅間6月~9月の第4土曜日運休措置解除

2006(平成18年)

・急行「かすが」廃止

2012(平成24年)

・保守作業の昼間実施による第2土曜日の運休措置解除

2013年(平成25年)3月16日:百済駅を百済貨物ターミナル駅に改称。

2015年(平成27年)3月14日:JR西日本区間で路線記号が本格導入開始。

2017年(平成29年)

・10月22日:台風21号の影響により、加太駅 – 柘植駅間で線路脇の亀裂と盛土のり面崩壊が発生。亀山駅 – 加茂駅間が不通となる。同区間でバス代行輸送開始。

・11月1日:柘植駅 – 加茂駅間で運転再開、バス代行輸送区間を亀山駅 – 柘植駅間に短縮

2018年(平成30年)

・1月9日:亀山駅 – 柘植駅間が運転再開。

・3月:JR東海区間で駅ナンバリングを導入




JR関西本線 JR関西本線現在の車両

【JR東海旅客鉄道株式会社】
電車
211系:名古屋駅 – 亀山駅間
313系:名古屋駅 – 亀山駅間
気動車
キハ75形気動車:名古屋駅 – 河原田駅間の快速「みえ」(過去には名古屋駅 – 奈良駅間の急行「かすが」にも充当されていた)
・キハ85系気動車:名古屋駅 – 河原田駅間の特急「南紀」

【JR西日本旅客鉄道株式会社】
気動車
キハ120形:亀山駅 – 加茂駅間(過去には最大1日2往復が奈良駅まで乗り入れていた)
電車
103系:木津駅 – 奈良駅間(平日のみ奈良駅 → 王寺駅間の普通列車としての走行あり)
201系:加茂駅 – JR難波駅間
205系:木津駅 – 奈良駅間(平日のみ奈良駅 → 王寺駅間の普通列車としての走行あり)
221系:加茂駅 – JR難波駅間
207系:木津駅 – 奈良駅間および奈良駅 – 久宝寺駅間
321系:木津駅 – 奈良駅間および奈良駅 – 久宝寺駅間

【日本貨物鉄道株式会社】
電気機関車
・EF65形:平野駅 – 百済貨物ターミナル駅間
・EF66形:平野駅 – 百済貨物ターミナル駅間
・EF210形:平野駅 – 百済貨物ターミナル駅間
・EF510形:平野駅 – 百済貨物ターミナル駅間
ディーゼル機関車
DD51形:名古屋駅 – 四日市駅・塩浜駅間
・DE10形:名古屋駅 – 四日市駅間
・DF200形:名古屋駅 – 四日市駅・塩浜駅間
貨車
・コキ100系コンテナ貨車:名古屋駅 – 四日市駅間、平野駅 – 百済貨物ターミナル駅間
・コキ200形コンテナ貨車:名古屋駅 – 四日市駅間




JR関西本線 JR関西本線過去の車両

過去に使用されていた車両の運用区間は以下の通り(駅名および車両形式は運行当時のもの。湊町駅は現在のJR難波駅)。

蒸気機関車
・D51

ディーゼル機関車
・DF50

気動車

・キハ17形:名古屋駅 – 湊町駅間
キハ35系:名古屋駅 – 湊町駅間
・キロハ18形:名古屋駅 – 湊町駅間で準急
・キハ50形:名古屋駅 – 湊町駅間で準急
・キハ51形:名古屋駅 – 湊町駅間で準急「かすが」
・キハ55系:名古屋駅 – 湊町駅間で準急「かすが」など
キハ58系:名古屋駅 – 湊町駅間で急行など。JR移行後は名古屋駅 – 奈良駅間の急行「かすが」、亀山駅 – 奈良駅間の普通
・キハ65形:名古屋駅 – 奈良駅間で急行「かすが」
・キハ81系:名古屋駅 – 河原田駅間で特急「くろしお」
・キハ82系:名古屋駅 – 久宝寺駅 – 杉本町駅間で特急「あすか」および、名古屋駅 – 河原田駅間で特急「くろしお」、のちに特急「南紀」

電車
・101系:奈良駅 – 湊町駅間
・103系:名古屋駅 – 亀山駅間
・113系:名古屋駅 – 亀山駅間、加茂駅 – 湊町駅間
・165系:名古屋駅 – 亀山駅間
・213系:名古屋駅 – 亀山駅間
223系:天王寺駅 – JR難波駅間で関空快速、奈良駅 – 久宝寺駅間で直通快速
381系:加茂駅 – JR難波駅間の「やまとじライナー」

客車

・スハ32系 – マロネフ29、オロ35など:名古屋駅 – 湊町駅間で急行「大和」、名古屋駅 – 亀山駅間で急行「伊勢」
・オハ35系 – スロハ32、スハニ32など:名古屋駅 – 湊町駅間で準急・急行「大和」
・スハ43系 – スハ43、スロ53、スロ54、オハ46など:名古屋駅 – 湊町駅間で準急・急行「大和」、名古屋駅 – 亀山駅間で急行「紀伊」「伊勢」
・10系:名古屋駅 – 湊町駅間で急行「大和」「紀伊」と名古屋駅 – 亀山駅間の急行「伊勢」「那智」
・14系:名古屋駅 – 亀山駅間で寝台特急「紀伊」

貨車
・コキ50000形コンテナ貨車:名古屋駅 – 南四日市駅間、平野駅 – 百済貨物ターミナル駅間