命じられた堀尾忠晴が聞き間違え天守解体亀山城 (伊勢国)【三重県亀山市観光/関西本線観光スポット】
亀山城(かめやまじょう)は、伊勢国鈴鹿郡亀山(現在の三重県亀山市本丸町)にあった城。
亀山城(かめやまじょう)は、別名を粉蝶城(こちょうじょう、ふんちょうじょう)という。
文永2年(1265年)に関実忠によって若山(現在の三重県亀山市若山町)に築城され、その後現在の位置に移された。
江戸時代は東海道の要衝としてたびたび城主が変わり、石川氏の時代に幕末を迎えた。
亀山城は江戸時代における伊勢亀山藩の藩主の居城でした。一国一城令により、丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴がまちがってここ伊勢亀山城の天守を取り壊してしまったという逸話があります。
東海道46番目の宿場町でもあることからも、亀山城は幕府の宿所としての役割があり、上洛する徳川家康、秀忠、家光などが本丸を休泊に利用しています。
1636年(寛永13年)には城主となった本多俊次の手で大改修が行われ、天守を失った天守台に多聞櫓が築造されました。
この多聞櫓は当時の位置のまま残る中核的城郭建築として三重県下では唯一のもので、全国的に見ても現存する多聞櫓としても貴重なものです。
【明治維新】
明治維新以降は、明治6年(1873年)のいわゆる廃城令によって、ほとんどの構造物が取り壊された。
このため現在は天守台・多聞櫓・石垣・堀・土塁など一部が残るに過ぎない。
ただ、多聞櫓は原位置のまま残る中核的城郭建築として三重県下では唯一の遺存例であり、現存する多聞櫓として全国的にも数少ない存在であるため、本丸南東の天守台と多聞櫓本体を併せて、「旧亀山城多聞櫓」の名称で三重県の史跡に指定されている。
また、二の丸御殿玄関は、西町の遍照寺本堂に移築されている。
【21世紀(現在)】
平成13年(2001年)より毎年4月上旬には「亀山城桜まつり」が開催されています。
平成18年(2006年)には亀山城周辺保存整備事業の一環として、二の丸帯曲輪および周辺部分が江戸時代末期の状態に復元された。
平成19年(2007年)4月15日に発生した三重県中部地震により天守台の石垣の一部が崩落したが、崩落箇所は昭和47年(1972年)の台風被害の補修で新たに積んだ部分のみで、江戸時代初めごろに穴太衆(あのうしゅう)によって築かれた古い部分には一切被害はなかった。
平成23年(2011年)8月 – 平成24年(2012年)3月の間、多聞櫓の復元修理において破損箇所の修理の他、江戸末期の姿に戻すため板壁から漆喰壁にするなどの工事が行われた。費用は約7800万円。
2012年12月14日夜、復元修理完了間際、火災が発生し5-6m2が焼けた。このため工期は延長、公開も延期された。
平成25年(2013年)4月7日、櫓の修復完成式典が行われ、一般公開が開始された。
亀山城 (伊勢国)情報 |
別名: 粉蝶城(こちょうじょう、ふんちょうじょう) 城郭構造: 梯郭式平山城 天守構造: 不明(1590年築) 築城主: 関実忠 築城年: 文永2年(1265年) 主な改修者: 岡本良勝、本多俊次 主な城主: 関氏、岡本氏、本多氏、石川氏他 廃城年: 明治6年(1873年) 遺構: 多聞櫓、石垣、堀、土塁 指定文化財: 多聞櫓(県指定史跡) 再建造物: 模擬塀 |
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亀山城 (伊勢国) |
所在地: 〒519-0152 三重県亀山市本丸町575-2 亀山城へのアクセス: 【鉄道】 JR関西本線/紀勢本線・JR亀山駅から北へ徒歩10分 【公共交通機関】 JR関西本線/紀勢本線・JR亀山駅から亀山市バスに乗り「市役所前」バス停下車すぐ 【車】 東名阪自動車道・亀山ICから6分 【駐車場】 亀山公園駐車場(無料) |
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